こんにちは。北海道札幌市の行政書士、安藤です。
このブログの趣旨(というか、私の根っこにあるもの)は、『人それぞれ』です。
人は(家族も含めて)他人とは異なります。それが生まれながらなのか、あるいは育ってきた環境なのか、今の自分を形成する原因さえ人それぞれだと思っています。
そんな私にとって、以前からきちんとお話しを聞きたいと思っていた内容のセミナーが、9/22に開催されました。
「性的少数者の権利擁護と法律実務家の役割」、一般社団法人ENISHI様の設立記念講演会です。
内容を一からお伝えしたいところではありますが、講師(鈴木賢氏)と同じ正確性で語れるはずは当然ありません。
また、正直内容が難解な部分もあったので(=私の理解力の足りなさ)、私が特に興味を持ったところを私なりの解釈でお伝えしたいと思います。
・LGBT(←この講演会では、「LGBTは4種類のみではなく、すべての性的少数者」を指します)の困難さは、最終的に自己否定に繋がってしまうこと。
考え方:国や社会、家族、他人による干渉により、自己決定が尊重されない。(つまり社会などによって人為的に作り出されているので、LGBTの問題は社会の問題。)→社会によって否定されているので、社会的評価が低くなる。→つまり自己評価も低くなる。→結果、自己否定になる。
・では、LGBTの困難解消への道は?→自己決定を認める社会、政治、法に変えること。
よく「法を変えても、一人一人の意識が変わらなければ意味がない」という人もいる。→そんなことはない!→なぜなら、法や権利は自己決定を否定する人への対抗要件(=武器)となる。(つまり、自分を否定する人に対し、「私の立場は法律によって守られている。あなたの言っていることは、法律という民主主義によって決められたルールに違反している」と対抗することができる。)
このことから『人はそれぞれ。人の人生に干渉しない。』という、多様性の承認が求められる。
LGBTの主張は、『自己決定の承認は特権ではない』ということ。→つまり、今まで奪われていたものを取り戻すだけ。→さらに言えば、異性愛者と同じようになることを望んでいるだけ。
・パートナーシップ制度が普及しない。→自治体の言い分は「住民の理解が広まってから制度を作るべきだ。」→逆である。制度を作ることによって住民の理解が広まる(=住民の意識が変わる)。→LGBTの子を持つ親も、「私もやっと子供のことを親しい友人に話せるようになった」との声も(北海道新聞2018.8.25 読者の声より)。
・差別の悪質性は、差別する者の意図とは関係なく、文脈で客観的に決まる。→よく「差別する意図はありませんでした。」と言う人がいる。→そうではない。発言者に差別する意図があろうとなかろうと、客観的に(たとえば周囲の人や言われた相手などが)「それは差別だよ」と感じたら、それは差別になる。
とりあえず何点か、記載してみました。
特徴的なのは、『今まで奪われていたものを取り戻すだけ』という言葉。
「異性愛者が結婚できるように、私達も結婚ができるはず。だけどそれが奪われてしまった。」ここが原点なんだと思います。
なんらかの原因でマイノリティとして生きている→そして本人の意思ではどうしようもない→だからマジョリティと同じ権利を与えて欲しい。
上記に関し、私は賛同します。
※というか、そもそも「人はそれぞれ」なので、異性愛者もいるでしょうし、同様に同性愛者もいるでしょう、と私は考えます。皆「その人はその人」であるので、マジョリティ・マイノリティと区別しようとは思いません。皆だれもが(他の誰でもない)一人の人間なので、何かのグループに分ける必要はない、と(現時点で)私は思っています。
ただ、こういった考え方(上記講演会の内容など)には反対意見も存在します。
考え方は「人それぞれ」なので、相対する意見があるのもまた当然です。
しかしその考えが内側(=内心)にとどまるだけではなく、表側に出てきてしまう(=言葉として発してしまう)と『問題』が生じる場合があります。
「でも“表現の自由”があるでしょ。憲法で保障されているから、別に問題ないんじゃないの?」と思う方がいるかもしれません。
確かに“表現の自由”は憲法で保障されています(憲法21条)。
ただし、その自由は100%保障されるわけではないのです。
以下に、なるべく簡単に述べてみたいと思います。
※以下は読み飛ばして頂いても結構です。要は“表現の自由といえども絶対的に保障されるわけではない”、というところが大事なのです。
憲法は、『侵すことのできない永久の権利』(憲法11条、97条)として基本的人権を保障しています。
そして、表現の自由も基本的人権です。
しかし、先程も書きましたが表現の自由は表側に出てしまうので、いくら保障される人権といえども、他人の権利を害する可能性があります。
そう、他人にも人権は当然あります。
つまり、一方の人権と他方の人権がぶつかってしまう場合が起こりえるのです。
そこで憲法は『公共の福祉』という言葉を使って、「お互いの人権はどちらも大事だよね。だったらどちらの人権も制約し、お互いの人権が守られるように調整しますね。」と人権は制約されうるものとしました。
だから表現の自由という人権も、100%保障されるわけではないのです。
従って、いくら表現の自由は憲法で保障されているからといって他人の名誉権を侵害したりすると、名誉毀損罪が成立し罰せられる可能性もあります。
いかがでしたでしょうか。
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
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